死別の悲しみをどう乗り越える?大切な人を失ったあなたへ

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こんばんは。

わたくしごとになるのですが、(ブログなので私事しか書いてないけれど)

実は先日、大好きなおばあちゃんが亡くなってしまって、ですね

それを少しずつ消化して、今、それをどう乗り越えようとしているのかについて

ちょっとここに書いてみることにしました。大切な人を亡くされたみなさんの気持ちが、

少しでも軽くなりますように。

医療職として出来ることがあったと感じるからこそ悔いてしまう

私は病院で管理栄養士として働いているのですが、

おばあちゃんが誤嚥性肺炎で亡くなった時、

「あの時食事についてもっと看護師さんや施設のひとと相談しておけばよかった、、」という気持ちでいっぱいでした。

誤嚥性肺炎とは、食べ物や唾液などが、食道ではなく気管から肺に入ることで肺に感染や炎症が起こることを言います。

もちろん防げないこともありますが、

基本的には口腔ケアと食事の形態、そして食事の姿勢などの工夫で予防することができます。

おばあちゃんが亡くなるその三日前

私はコロナからやっと退院することができたおばあちゃんのお見舞いに行きました。

けれど、退院の時に看護師さんから詳しい食事内容はきけなくて

患者の家族という立場(孫)で、管理栄養士としてその場にいたわけではないことで

少し遠慮というか、気後れしてしまっていて

管理栄養士としての観点から

結局、突っ込んだ話が出来ないままおばあちゃんを施設に送り届けてしまいました。

そしておばあちゃんは施設に到着したその三日後に発熱し、

誤嚥性肺炎で再度入院になって、そして天国へ行ってしまいました。

後悔しました。

そこには、「管理栄養士として学んできたのは、栄養の力で大切な人たちを守るためじゃなかったのか?」という

専門職としての切ない思い、自分を責める気持ちがどうしてもあったのだと思います。

後悔への解釈。自分をそんなに責めないであげて

何度も何度もその悔いる気持ちを見つめるなかで

私は管理栄養士として、ではなく

その場に孫としていた。それだけでおばあちゃんはきっと喜んでくれていた。

私は管理栄養士ではなく、おばあちゃんの唯一無二の孫として

その場にいて、手を握って励まして「頑張ろうね」と話せた。

おばあちゃんからしたら、それだけで嬉しかっただろうなあと思います。

あんなことも、こんなこともしてあげられたかもしれないという想いで

自分を責めて

悲しくなっても

おばあちゃんは喜ばない。

だからその後悔を手放していきたい、

その気持ちを昇華させていこう、と考えるようになりました。

もしあなたの大切な人が亡くなってしまって

医療職として、もっと出来たのにという後悔があったり、

ただ、悔いが残ったとしても

最後の瞬間に間に合わなかったとしても、

できる限り、自分を責めないであげて くださいね

亡くなったあなたの大切な人は、それがその寿命だったのだし

あなたの笑顔が一番嬉しいと思うので。

おばあちゃんが教えてくれたこと

専門職としてもっと出来た、でも孫として十分だった

そんな気持ちのバランスが取れてきた頃

管理栄養士として誤嚥性肺炎になりそうな人を病棟で見かける度に、

「気づいたのだから、出来ることを全力でしよう!」と思う気持ちがあふれてきたこと

目の届く範囲にはなるけど、

出来ることを全力でしよう!と思うようになったこと

私はその気持ちがどんどん溢れてきたこと

物凄くおばあちゃんに感謝しています。

この熱い気持ちは、おばあちゃんがくれたプレゼントだと思って

私を前に突き動かすパワーになってくれています。

大切な人を亡くしてしまっても、私たちは前に進む

もしあなたも、

大切な人が亡くなった時の後悔があれば、

その後悔を自分を責める材料に使うのではなくて

その人からの、大切なひとからの最後のプレゼントは何だったかな?

ともし思えたら、

思わぬ生きる気力や、仕事への熱意に繋がるのかもしれないな

と私は思います。

読んでくれてありがとうございました。ではまた!

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