苦手なものを食べられるようになる「憧れ」の気持ちについての話
小さい子供が、苦手なものを食べられるようになる時、そこには大人や、周りのものとの関わりで感じた「憧れエピソード」が隠れているのだと思う。
大人になった今、その多くは忘れてしまっているけれど、
ハイジがヤギのミルクを、丸い木のお椀で美味しそうに飲んでいる様子を見て、
牛乳を飲めるようになった、、みたいな経験が私はたくさんあったと感じる。
例えば、アルプスの少女ハイジに登場するやぎのミルク。それを木のお椀で飲む様子は牛乳嫌いだった私をずいぶん変えてしまった。
木のお椀にミルク。
私はそれに、なんだかわくわくしていた。
丸い木のお椀は、きっと、木目はボケており、なんどもさわりたくなるような柔らかな質感で、子どもが両手で持てる丁度いいサイズなのだろう。
そんなふうにありありと想像できたし、していた。
私は、ハイジを観て、台所で立ったまま、
お味噌汁を入れる木目のお椀に、ミルクを注いで飲んだ。
そのミルク(ただの牛乳)を美味しく感じたことを覚えている。もちろん立ったまま飲んで母に怒られたことも。
想像と現実が交差したことで、フィルターを重ねたかのように、普通の牛乳が魅力的に見える瞬間が「木のおわんのミルク」にはあった。
ハイジのやぎのミルクを「木のお椀」と「牛乳」で再現したこと。こんな風に
想像と現実が重なり、ときめく瞬間が、苦手なものを食べられるきっかけになることも、たくさんあるんだろうなと思う。
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